7月30日に、新宿の映画館「新宿シネマカリテ」でリバイバル上映された『死霊のえじき デジタルリマスター版』を鑑賞しました。
美しくなった画質でより高まった本作の緊張感と恐怖感を再確認し、堪能することができました。
『死霊のえじき』の基本情報
死霊のえじき(原題)“Day OF THE DEAD”:1985年 102分 R15+
監督
- ジョージ・A・ロメロ
脚本
- ジョージ・A・ロメロ
出演
- ロリー・カーディル、テリー・アレクサンダー、ジョセフ、ピラトーほか
『死霊のえじき』のあらすじ
ゾンビ発生からしばらくが経過し、もはや街に生存者を探しに行っても見つかるのはゾンビの群れだけとなってしまった。
研究者、軍人、民間人からなる残された数少ない生存者たちは、巨大な地下倉庫をシェルターにしてなんとか生き残ろうとしていた。
問題の解決を目指す主人公のサラや、ローガン博士ら研究者は、軍人たちに命がけでゾンビを捕獲させ、それを実験台に研究を続けていたが根本的な解決の糸口は未だつかめない。
上官を失ったばかりの軍人たちのいらだちが高まるする中、ローズ大尉は新たなリーダーとして立ち上がり、暴力で生存者たちを支配下に置かんとする。
シェルターという巨大な密室の中で、両者の緊張はピークに達しようとしていた…。
『死霊のえじき』は本当に怖い
今回、リマスタリングされた『死霊のえじき』を観て1番印象的だったのが、本作は純粋に怖いということ。ロメロ監督の前作『ゾンビ』に比べて進歩した特殊メイクによるゾンビの造形や真に迫る演技、リマスタリングされた画質でも荒の目立たないゴア表現は今見ても怖ろしく、近年の作品にも見劣りしません。
もちろん真に恐ろしいのはゾンビではありません。
暴力的で下品なレイシストとして描かれる軍人たちの暴走や、精神崩壊寸前の危うさ、他方で研究のためなら元人間のゾンビたちーー仲間であった少佐までもーーを実験と称して切り刻み、あまつさえゾンビを飼いならすために軍人たちの遺体を餌とする、フランケンシュタインことローガン博士の狂気が本当に恐ろしい。
ゾンビ発生という極限状態における人間の恐ろしさは、ロメロゾンビ3部作の全てに見られますが、『ゾンビ』の終盤に登場するバイクに乗った無法者たちは単純な暴力的恐ろしさこそあれど、遊ぶようにゾンビを狩り、また反対に襲われる彼らの演出にはコミカルさも見られ、(私は)彼らに真に迫る恐怖は覚えませんでした。
しかし、『死霊のえじき』に登場するローガン博士やローズ大尉は不気味で恐ろしい。なぜか。これは彼らが主人公であるサラにとって、無法者たちのような外からやってくる脅威ではなく、あくまでシェルターで共に生存しなければならないはずの、生きた人間として描かれているからだと思うのです。
研究者でもあるサラにとって、はじめはローガン博士は頼りになる存在、問題の解決のために協力してくれる存在に見えます。しかし徐々に明らかになっていく博士の常軌を逸した恐ろしい行動の数々。
ここには単純な脅威であるゾンビだけでなく、頼りにするしかない身内の人間までもが恐ろしい狂気に染まっている、という2重の緊張感があります。
その対にいるのが言うことを聞かなければ本気で銃を向けてくるようなローズ大尉ら軍人たち。
下品な悪人のように描かれる彼らも、よく考えると成功の見込みのないゾンビ研究のために命がけでサンプルの捕獲を強いられている味方側の人間です。そんな彼らが追い込まれて暴走寸前になってしまっている。
外からやってくる狂気の団体よりも、自分の身内の本当に生きている人間がコントロール不可能になっている緊張感の方がリアルなプレッシャーとして迫ってくるのです。
舞台である20世紀のアメリカにおいて、頼りになる万能の可能性を秘めていた科学の暴走ーーローガンーーと、市民を守ってくれるはずの軍事力の暴走ーーローズーーはまさに鑑賞者にとって現実的な身内の狂気の似姿なのですから。
サラと恋仲だったヒスパニックの軍人はグループの中で劣位に置かれ、精神的に疲弊していき、その結果として最後の惨劇を引き起こすことになるのですが、このやり切れなさが観ていて辛い。
鑑賞者は憎たらしく思えた軍人たちがゾンビに食われていくクライマックスにもカタルシスを感じることはできないのです。
清涼剤バブと主人公サラの隠れた魅力
重苦しい緊張感の続く本作におけるわずかな清涼剤が、もっとも印象的な要素でもある、ローガン博士のかわいがっている“優等生ゾンビ“のバブと、今回の鑑賞まで特に気に留めていなかったのですが、地味ながら主人公としてとても有能なヒロインのサラ。
研究の成果としては「餌付けすればゾンビが大人しくしてくれるかもしれない」というだけで、バブの存在は実は何も問題の解決にはなっていないのですが、育ての親ローガン博士に彼が向ける感情のようなものは私たちにどこか救いを感じさせます。
本作には『ゾンビ』に出てくるようなコミカルな個性豊かなゾンビ自体が減ってしまっているのもあり、バブがいわゆるキャラクター的ゾンビの役割を担ってくれます。
ここで現代ゾンビを生み出したロメロ監督自身が、3部作の終わりでその後いくつも作られるゾンビとの友情というギャグ的なテーマまでも既に描き切ってしまっていることにも感服しますね。
そして、女性主人公のサラはこれといった強い特徴はなく、個人的にはホラーヒロインの中でも決して人気のある方ではないと思います。
しかし、彼女はホラーヒロインにありがちな、行動が事態を悪化させるとか、パニックになって役に立たないというようなことがなく極めて有能で、緊張感ただよう本作のなかで視聴者に過度なストレスを与えないという役割を見事果たしています(このへんのバランス感覚もロメロ監督は凄い)。
恋仲だった男がゾンビに腕を噛まれ錯乱し走っていくのを、後ろから追いかけ、すかさず岩で頭を殴打し気絶させ、なにもためらうことなくマチェーテで彼の腕を切断し、来ていた上着を裂いて松明を作り傷口を焼いて処理できるヒロインなんて、本作のサラくらいでしょう。
本作はロメロゾンビをもっと楽しみたくなった人へ
本作『死霊のえじき』は上述したように身体の損壊などゴア表現も比較的ハードで、反対に『ゾンビ』にある「買い物」シーンのようなワクワクする描写も少なめでロメロ3部作の中では少々とっつきにくいところのある作品です。
ただ、ロメロらしい人間の狂気はより洗練されて恐ろしさを増し、ハードなゴア演出も前作より安っぽさがなく、見どころの1つとなっているのは確かです。
落ち着いた作風の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や娯楽性の高い『ゾンビ』でロメロの作風にハマった人はより強い刺激や作家性を求めて本作を手に取ることになると思います。本作が映画としてロメロゾンビ3部作の終わりを飾るのにふさわしい完成度をもっていることは間違いありません。